京都五山の送り火の薪の問題、一転解決、よかったが、・・・

 京都送り火の薪の問題、一転して津波で被災した地域の薪を五山全部で使うことに決まったようだ。ごくごく一部の理性的でない反対者の意見に押し切られて被災地の薪を使わないことにいったんは決めた委員会が、世論を受けて、非を認め、一度決めたことを撤回した点、本当によかったと思う。マスコミの報道、電話での抗議やインターネットの書き込みなどがうまく機能した結果だ。私の先日のブログに対しても、数名の方から意見を寄せていただいたことに感謝いたします。情報が一瞬で世界中に流れ、また、それに反応して一人ひとりが情報発信できるような社会になった今、今回のような根拠のない差別的な行動を見つけたら、その誤りをできるだけ速やかに訂正できるような仕組みができていくとよいと思う。これまでは、筋の通らない話しも泣き寝入りになる場合がほとんどだったと思うが、筋の通らなさを訴えて、それに共感できる人が沢山いれば、その数は力になり、社会を動かせるようになる可能性がある。これは、社会全体を居心地良くするもので誰にとってもメリットがあることだろう。
 今回の薪の問題は、津波の被災をした薪には福島原発由来の放射能が全くなかったことが証明できたので、岩手の薪の使用を反対する側には拒む根拠がなくなったので、話の決着はつきやすかった。しかし、もしも、岩手の薪の使用を反対する人の論拠が、何百年も前から伝統的に使用している薪のみに限定すべきだという文化的な背景に訴えるものだったとすると、話はずっとややこしくなっていただろう。そうなると、伝統的な行事を一時的な感情の起伏で変えてしまっていいのか、ということに対しては、真偽はつけることはできないので、結果的には岩手の薪の使用を反対するという少数意見がそのまま残った可能性もある。
 イスラム圏の自由化運動、中国の情報操作、イギリスの暴動などを見ていると、インターネットによる高度情報化によって社会がどのように変わっていくのか、いろいろと考えさせられる。世の中を変えようとする視点と守ろうとする視点とでどちらが正義かということについては、判断が難しい。イスラムの国々の多くの市民にとっては、インターネットの書き込みに火を点けられた形で抑圧されていた人権を取り返したいという気持ちが高まったのは当然だが、その結果、国は混乱し、多くの死者も出ている。それが果たして多くの市民が満足できる方向なのか、微妙だと思う。
 中国は、逆に、徹底した情報抑制によって、治安を維持することに必死である。私が上海にいたときにも、ホテルから「天安門」は検索できて地図が出てきたが、「天安門事件」とキーワードを入れると検索ができなかった。常に国家から監視されている怖さのほんの一端を感じることができ、のぞき見されているようでとても居心地が悪かった。先日の車両事故に関する報道管制も、常軌を逸しているように思う。あの事故に巻き込まれた人は闇に葬られてしまうのかと思うといたたまれない。
 イギリスで今起こっている暴動も、暴動自体は悪いことだが、そこまで市民の不満を高めていた政府にも非はあるようだ(とばっちりを受けたソニーには何の非もないはずだが)。ニュースによれば、25歳以下の若者の失業率は25%にもなっているというし、いろいろな手当を減らしたり、生活すること自体が困難になってきているようだ。だからといって、暴動や略奪が正当化されるわけではないが、そのような状況になっていれば、統治者側とすれば、暴動が起こる可能性が高くなっていることは把握できていたはずなので、そうなる前に対処をとっておくべきだった。インターネットの書き込みで暴動を扇動していた人が逮捕された、というようなニュースも流れて来ているが、実行犯ではなく書き込んだ人まで逮捕となると、中国とイギリス、どこが違うのか、非常に境目が見えにくい。イスラム民主化運動についても同様だ。
 何を正しさの根拠とするかについて、一度、しっかりと考え直す作業も必要なのかもしれない。自然法則で必ず正しいこと、経験則でこれまでは正しいと信じられていること、根拠なく思いこみで皆が正しいと思っていること、過半数の人が正しいと思うこと、一部の人だけが正しいと思うこと、国家のために正しいこと、正しいといいなと思うこと、・・・など、正しさにはいろいろな段階がある。自分が正しいと思うことをどこまで貫いて、どこまでなら、世の流れに乗り、意見の違う人を許容すべきか、この線引がきちんとできていないと、行動の基準があいまいになり、情報が氾濫する社会の中で迷子になってしまいそうだ。

看過すべきでない、京都大文字送り火問題

 京都大文字の送り火で燃やす計画だった陸前高田での津波で発生した薪が、風評のため、京都では燃やされなくなり、地元で、お盆の迎え火として燃やされたという報道があった。ポスドク時代の2年間を京都で生活し、五山の送り火はその中でも最も好きなイベントで、アパートも送り火が間近に見られるところをわざわざ選んだほどだったが、今回の事件で、これまでの好印象は全く反転した。これは、いろいろな意味で象徴的な事件であり、見過ごすべきでないことが多く含まれている。
 まず、この風評の内容のレベルの低さがあげられる。福島原発から200km以上離れた陸前高田の海で異常な放射能が検出されたという話は全くないし、関東以北の人にとって、陸前高田放射能は全く結び付かないはずだ。にもかかわらず、「琵琶湖が放射能で汚染されたらどないすんねん」というような電話があり、「大文字保存会」の松原理事長は「薪から放射能は検出できなかったが不安は完全には拭えない」ということで、陸前高田の薪の使用を断念したという。本来、根拠のない風評は断固として拒絶すべき立場の人が、事なかれ主義で、完全に風評に負けてしまった形だ。
 新聞によれば、陸前高田の薪を送り火で燃やす計画が発表された直後、40件程度の電話での抗議があったという。理事長宅にもおそらく相当数の電話があったに違いない。しかし、このような形で、薪を送った陸前高田の人の気持ちを踏みにじり、私以外にも多くの人の気持ちを裏切ったことの罪は非常に思い。いつから始まったかもわからないほど何百年も前から続いている行事であるが、大切なのは薪を燃やすことではなく、亡くなった人を思う気持ちを一体化させることであり、それが心ない電話攻撃に負けてしまうとは全く残念だ。京都市などの観光協会も「はずべきこと」とコメントしているが、運営は保存会に任されており、どうにもならないという。
 京都には2年間、神戸には7年間住んだ経験があるが、関東人の私としては、なんとなく、関西人の関東人への冷たさを感じることがあった。平易に言えば、関西弁を使わない人を「外国人」あるいは「よそもの」のように扱うという意味での冷たさだ。3月の大震災の直後、関東では放射能汚染で水道の水が危険だ、ということでペットボトルの水が売り切れた時期があった。困った時はお互い様で、関西以西からペットボトルが届けられるかと思いきや、関西でもペットボトルが売り切れてしまった(沖縄でもそうだったというので、これは関西だけの問題ではないが)。日本人が風評に弱い民族であるということがこのとき、改めて立証された形だ。
 大上段の視点から言えば、日本は現在、GDPの7割はサービス関係の職種から成り立っており、「思いやり」や「心遣い」の心地よさが、日本の価値を高めている。人々が何を求めており、それにどう答えるべきか、ということを追求することが国の産業力を上げることになる。昔の日本は、衣食住が足りずに、それを生産することが国に求められ時代もある。TVや自動車などの物質が豊かさの象徴になり、ものを作ることが求められた時代もある。しかし、今は、衣食住は(被災地以外では)足り、ものも溢れている。人々が求めているのは、精神的な豊かさと居心地のよいゆったりとした環境である。そのためには、知性と人を思いやる気持ちが求められる。根拠のない不安感に押し流される風評とは正反対のものが、私達には必要なのだ。
 送り火の保存会は今からでも遅くはないので、陸前高田と全国民に風評に負けて誤った判断をしたことを恥じて謝罪し、改めて被災地の薪を取り寄せて16日に送り火で燃やすし、国民の心を一体にすべきだ。もし、このような判断をしないなら、被災地の人は送り火をこころよくは見られないだろうし、その心情を思うと、私も送り火にはむしろ反感を感じる。保存会に対しては方針を撤回するまで抗議を続け、京都観光のボイコットやTVでの放映の中止も検討すべきだと思う。風評で傷つけられた被災地の人の気持ちをほっておいて、根拠のない風評に負けたまま何も起こらないようでは、サービスを基盤とする国は土台が崩れてしまう。誰かが風評に負けて間違った判断をした場合には、理性のある大多数の国民が怒って方向転換を促すべきだ。誤った風評は速やかに勇気ある理性が正す、ということが高度に情報化された現在の日本のあるべき姿のはずである。(カンのいい総理なら、このような瞬間に国民の心を掴むような発信をできるかもしれないが、カンも間も悪い総理には期待もできないか・・・)

介入で4兆円も使うとは

 今月4日のドル円市場への政府の介入では、4兆円を越える金額が使われたという。国の財政は本当にわかりにくい。民主党が党を上げて財政の見直しをして、事業仕分けできた金額をはるかに上回るお金が介入となるとパット使えるわけだ。私は、事業仕分けが始まった時から、介入のための特別会計を見直せば、一気に100兆円もの予算が動くことになるので、非常に期待していたのだが、介入のお金にはほとんど手がつけられないまま事業仕分けは終わってしまった。介入で入手したドルはほとんどそのままアメリカ国債を買うことに使っているようなので、それを売ってはいけないというアメリカとの密約でもあるのではないかと疑いたくなるような不思議さである。
 特別会計の仕組みなどを自分は十分に理解しているわけではないので、そもそも介入のお金を国債の購入以外に使うことができるのか、不安だったが、日本総合研究所の寺島実朗理事長も介入のお金をアメリカ国債の購入以外に使うことを、主張していることを知り、少し心強く感じた。昨日の朝日新聞のコラムの中で、彼は、介入そのもので為替レートを変えることは、(今回も実際のその通りになったが)太平洋に目薬をさすようなものとして効果は極めて限定的であると主張し、入手したドルで、将来性が期待できるIT企業などの買収をすることを提案している。海外のIT企業を買うのも確かに日本の将来のためにはなるかもしれないが、買うものを何にするか自由に決めることができるなら、為替介入で貯めこんだドル資金は非常に有益に使えるはずだ。
 特別会計は、一般会計の年間90兆円の2倍以上の予算が立てられるようだが、その仕組みもわかりにくい。実は、上海の国際会議で、スイスETHのソネット教授と個人的に世界の主要国の財政問題とその対策について議論していたときにも、特別会計の説明で困ったことがあった。私が、日本の政府の年間の会計は、90兆円くらいだということを説明すると、ソネットさんはいろいろと勉強しているらしく、いや、日本の政府の年間の予算は300兆円くらいのはずだ、と突っ込んできた。確かに、特別会計を入れればその程度の額になるし、海外では、当然、特別会計のような別枠の特別扱いはありえないのが常識なのだろう。私は、特別会計(正式な英語の名称はそのとき知らなかったが)のことを説明したが、彼は、それは政府の予算だ、と譲らなかった。何事にも論理的な彼としては当然の反応であるし、私も心情的には彼に賛成だったので、日本政府の予算は、年間およそ300兆円ということで話を進めた。
 政府は、企業には国際会計基準を導入することを進めているが、まず、国家の予算を国際的に普通の形にして、内外から、お金の流れをきちんと見えるようにすることが先決だ。外国から見れば、政府の正式な予算である一般会計の2倍以上のお金が別枠で流れている国家をどのような目で見ているか非常に不安である。一説には、中国はGDPの2割くらいのお金が裏金で流れているのではないかという話もあり、中国の国家としての信用をそこなっているが、GDPの4割にも当たる金額が特別会計という形で流れを見えにくいお金にしている日本も相当な怪しい国かもしれない。 
 国債を直接売ることは金融市場の暴落につながるという恐れがあるのであれば、国債を売るのでなく、担保にして貸し出すことでも大きなお金を生み出すことはできるはずだ。子供手当に必要な1兆円のお金が予算から出せないということで、民主党は苦労しているが、例えば、保有している100兆円に近い金額のアメリカ国債を担保にして、お金を借りれば、その程度のお金はすぐに調達することもできるだろう。金利金利を利用することは、私のポリシーには反することではあるが、貯め込んだまま流れないお金は、存在しないことに近い。貯め込んだまま使わないうちにアメリカ国債が暴落し、債務不履行になって、100兆円をみすみす捨てるよりは、使える形で使う方がはるかに現実的にメリットがあるだろう。総理が決められることなのか、国会議員が決めることなのか、あるいは、役人だけで実行できることなのか、政治の仕組みはよくわからないが、介入のための貯金と既に購入したアメリカ国債の有効利用を真面目に考えてほしい。

本日の朝日新聞の「私の視点」に震災復興プランの要旨が載りました

今朝の朝日新聞に、私の提案している復興プランの要旨が載りました。
下記のような内容です。プランだけでは意味がないので、なんとか実現できる
方向に進められるように、と考えています。
先進国のどこも金融市場がガタガタになっています。日本政府は昨日介入しましたが、おそらく1兆円程度使っていると思いますが、リスクの高まっているアメリカの国債を買い増すだけで、効果は限定的だと思われます。
国の大きなお金はその場しのぎでなく、効果をきちんと考えた上で、はっきりした目的を持ったお金の使い方をしてほしいものです。

 津波で町を失った地域を、民間の知恵と財を集めて復興するため手順を提案する。
 1国や県が復興する町に住みたい人がどれだけいるのか、年齢分布、職業の希望、などの基本情報を調査する。全国に散らばった人達の情報を短期間に集める作業を実現するため、調査に協力した被災者に見舞金を配布するなどの強力な動機づけが必要である。
 2安全で美観のある町を建築するために、津波の被害にあった地域とその周辺の土地を県や市町村が買い取り、更地を用意する。この資金は後で埋め合わせられる。
 3民間企業のボランティアを募り、ひとつの企業がひとつの町を担当する形で、町ごとのホームページの作成と管理を委ねる。町の過去と現在、住みたい人の年齢や職業の分布などできるだけ多くの情報をホームページで公開する。さらに、ゲームの「シムシティ」のように楽しみながら子供でも町づくりをシミュレートできるようなソフトウェアを用意し、町ごとの地形や特色に合わせた復興プランのアイディアを広く募集する。
 4住民による投票や話し合いで応募プランを選考し、建設業社がそれに基づいた設計図を描き、見積もり金額、復興までの工事スケジュールを作成する。
 5復興地域の地主としての権利を持つ不動産証券を、町が証券会社を介して発行し、復興プラン実施に必要な金額を一般個人や民間資金から集める。一口10万円程度とし、相続税の優遇などをする代わりに復興が完了するまでの転売を禁止し、安定した資金とする。
 6証券の販売が完了すれば、民意の承認を得たとして次の手順に進む。復興プランに魅力がなく、証券の販売が完了しなかった場合には、規模を縮小したプランを作り直すか、復興をあきらめて、住民が集団疎開する選択をする。後者の場合、出資金の何割かは、住民に寄付し、残りを返金する。
 7復興プランを実施し、住宅を作り、商店や企業を誘致し、町は家賃収入を得る。復興の様子はホームページで随時更新し、地主には証券数に応じて、特産品や宿泊券、あるいは現金での配当をする。
 8復興完了後、不動産証券の転売を自由化する。家賃を払い続けることを避けたい住民や企業は、相当分の不動産証券を購入し、不動産を自分の所有にする。復興が成功すれば、不動産証券に投資した人は配当あるいは転売により利益を得ることができる。
 被災地は、まだがれきの処理に追われ、生活も手一杯である。余裕のある人達が、アイディアを出し、投資をして、復興の夢を語り合えるような明日に期待する。

震災関係、ようやく少しづつ動き出したか

最近、震災関係のことがようやく少しづつ動き出してきた感がある。

1:政府が、財源は未定としても、約20兆円を震災対策に使うことにした
2:気象庁津波警報を初期段階で過小評価したことを反省し、今後改善することにした
3:原子力発電所に対するテロ攻撃の脆弱さに関する情報が表に出てきた
4:放射線の健康への影響に関する専門家のきちんと発言するようになってきた(衆議院厚生労働委員会 「放射線の健康への影響について」、児玉龍彦教授発言 7月27日、 http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo )

 本日の朝日新聞によれば、原子力発電所のテロ攻撃に対する脆弱性は、想像以上のようだ。アメリカでは、毎年一度、本格的に模擬的にテロリストが襲撃する実践的なシミュレーション実習をしており、毎年何か所の原発では、原子炉が破壊されてしまうらしい。日本では、テロの襲撃はそもそもありえないこととして、考えてもいないようだ。しかし、1984年に、外務省が委託して調査し、今回の震災のような全電力喪失だけでなく、誘導型のミサイル攻撃まで想定し、引き続いて何が起こり、どれくらいの被害が生じるかを見積もった資料を作成した。最大では、万単位の人間が短期間に死亡し、広い面積が数十年間は人間の住めない地域になることが報告されていたが、その結果が反原発の世論形成に使われることを怖れ、部外秘として外には出さなかったという。新聞にも書いてあったが、このような警告を外に出していれば、外部電力が喪失された場合の脆弱性くらいは対策がとられていた可能性はあり、今回のような事態は避けられたかもしれない。しかし、最大の問題は、反原発派を勢いづかせることを怖れ、不都合な真実を隠ぺいするのが当然とされてきた体質だろう。とりあえず、これからやろうとしている原発のストレステストにテロ対策も是非とも入れてもらいたい。
 東大の児玉教授の国会での発言は、youtubeで人気急上昇なので、既にご覧になったかたも多いかもしれないが、まだの方は、是非ご覧いただきたい。医療のために放射性元素を体内に入れる研究をしている研究者の立場から、福島の子供達を守るために何をすべきかを強い口調で訴えている。微粒子がどのように拡散し、蓄積しているのかを丁寧に計測し、体内にはどのような放射性元素が体のどの部位に蓄積したのかを、これも丁寧に観測する必要を訴えている。政府の対応の不備・法律の不具合を理路整然と述べており、非常にわかりやすい。あからさまに将来の発ガン確率を予想しているわけではないが、あの熱心さから察するに、残念ながら20年後にはかなりガンの発生の増加が見込まれているのだろうという印象だった。
 もうひとつ、特に大きなニュースがなければ、明日の朝日新聞で5月に公募した復興プランの評価の結果と代表論文の要旨が発表されることになった。私の提案論文も、8分の1の長さに圧縮された形で、紙面に載せていただけるようだ。ガレキの処理だけでもまだ1−2年くらいはかかる見込みのようであるから、私の提案も、今からでも動き出せば、本当に現場の役に立つ可能性もある。アメリカもヨーロッパも財政破綻しかかっている段階であるから、日本は国の出費を少しでも押さえて復興を実現しなければ、国全体の破綻の引き金を引いてしまうことにもなりかねない。私案にこだわるわけではないが、とにかく国に頼らずに復興を進められるプランを選択してほしいものだ。

アメリカ国債危機:なぜ根本原因を解明しようとしないのだろう

 連日報道されているように、アメリカ国債債務不履行の危機に直面している。仮に今回ぎりぎりで債務不履行を免れても、格付け機関の格下げは確実で、そうなると最も安全な金融資産として世界中の金融機関が無条件で購入していた状況が変わり、世界の大きなお金の流れが向きを変えることになる。既に、金価格の上昇、ドル以外の通貨レートの上昇、アメリカ株の下落が徐々に進んでいるが、来週、アメリカの国債問題が節目を越えるとこれが一気に加速されるはずだ。
 アメリカの国債債務不履行になる可能性は、2,3年前から私も近い将来ありうることとして気になりだし、金融機関の人と会うごとに、質問してきた。金融の世界にいる人は、もちろん私などより早くからこの問題には気付いており、彼らなりにその時の対応は考えているようだった。某大手銀行の外国為替部の人は、「その時の為替部としての対応は一応社内で想定しています」、といい、ある金融アドバイザーの人は、「アメリカ国債債務不履行になった場合の影響は大き過ぎて考えにくいが、徐々にジャンクボンド化していくようなシナリオは織り込んでいる」というようなコメントをその頃の時点でいただいており、さすが現場は違うと感心した。おそらく、彼らは、今は、もっと綿密に、この場合にはこうするというケースごとの戦略を立てていることだろう。
 3年前のリーマン破綻の問題の火を消すために国が借金をして金融機関をなんとか救ったが、早晩(私は5年から10年くらいかなと思っていた)国の財政破綻が来ることは明らかだったが、どうやらそれが前倒しになりそうだ。昨年のギリシャ財政破綻に続いて、ポルトガルやイタリアは既に危ない状態、今回のアメリカ、そして、GDPの2倍も借金をしている日本は震災復興のためにさらに財政が厳しくなる、などどこも火の車だ。リーマンのときに、金融機関同士が疑心暗鬼でお金が流れなくなったが、今度はそれが、国家レベルで起こるような状況だ。経済の根本である通貨を発行する母体である国家が崩れ出すと、社会的な価値観の根幹が揺らいでくるので、次にどうなるのかは極めて予想しにくい。最悪を想定するような本も既にいろいろ出版されているが、あくまで沢山ある可能性の中のひとつとして参考にすべきだろう。
 そもそも、国債というシステムそのものの構造的な問題をきちんと考え、対策を考えるべきだと思う。金利を約束して借金をするという方法は昔からどこにでもあるが、それを国が行うのが国債だ。通常の借金の場合には担保をとられることが多いが、国債の場合には国の信用のみである。会社の発行する株式なら、沢山の株を手に入れれば会社の経営にも口を出せるが、国債を沢山持っていても国政に対する発言権が増えるわけでもない。
 国債は市場で売るので、低い金利だと売れなければ次第に金利を上げて売るという競争原理が働く。高い金利が確実に入るなら誰でも買いたくなるが、実際には、金利が高くなるということは債務不履行になって金利はおろか、元本まで返ってこなくなる(あるいはインフレが起こって通貨の価値がなくなる)可能性が高くなるということで、元々は安全な貯金、あるいは、確実な投資のつもりがいつのまにかハイリスクのギャンブルに連続的に移行してしまう。めったに大当たりしない宝くじのちょうど逆のような構造になっているのだが、宝くじと違って、損になる確率が陽に触れられていない所が難しいところである。
 金利を想定した債券という形でお金を集めることは簡単で便利ではあるが、本当にものの価値を増やすことができる実体経済から乖離した形になると、約束事だけで価値が決まるようになり、いつかつじつまが合わなくなる。直接的に価値を生み出す対象が見えているような形での債券は、そのリスクも見えているのであまり怖くはない。しかし、価値を生み出す対象が見えなくなって金利だけが独り歩きしている債券はいつのまにかギャンブルになる可能性を常にはらんでいる。リーマン危機も、実体経済で価値を産まないような債券や金融保険を数学的に合成した金融商品を量産したことが根本的な原因だったが、そこの原因解明に踏み込まずに、国の借金で帳尻を合わせておいたつけが回ってきていることになる。
 中国新幹線の列車事故では、車両を直ぐに埋めて翌日から運行再開している中国政府は、今、世界中から非難されている。当然、徹底的に原因究明して根本的な対策をとらない限り、同じような失敗を繰り返すに違いないと多くの人が思うからだ。原子炉の危険性も、福島の事故以来、安全性を徹底的に調査することには多くの人が賛同している。しかし、不思議なことに、リーマン危機に関しては根本的な原因解明をしないで、以前のままの金融の世界が持続していることに不安を表明する人が非常に少ない。もしかすると、どうせ金融の世界のことは調べても何もはっきりした原因はわからないだろうと、皆が思っているのではないだろうか?

村井宮城県知事の震災対策は理路整然としてすばらしい

 昨日は、午後、朝日新聞本社での「ニッポン前へ」の授賞式と日本橋朝日新聞主催の日本再生シンポジウムに参加してきた。
 「ニッポン前へ」に関しては、1800近い応募論文を朝日新聞のデスクとよばれる200人くらいメンバーが総出で読み、絞り込むのに時間がかかり、選考に2ヶ月もかかってしまったそうだ。受賞論文の概要の紹介があったが、残念ながら、私としては、期待が高過ぎたのかもしれないが、あまりなるほどと納得できるものはなかった。どうやらどちらかと言えばこれからを生きていく心の問題が高く評価されたように聞こえた。確かに特別賞に選ばれた中学3年生の松村さんは、アドリブでも大人以上に場の雰囲気を読んだ立派なスピーチができていた。詳細は8月1日の朝日新聞に紹介されるという。
 日本再生シンポジウムは、「ニッポン前へ」の受賞者が招待される形で、一番前の席で講演やパネルディスカッションを見ることができた。基調講演は建築家の安藤忠雄だった。神戸の震災のメモリアル公園を造った話しや、今回の震災に関連して親を亡くした子への育英基金を始めた話しなどがあった。冗談を交えてのいろいろな分野の大物との付き合いの話は聞いていて楽しいものだったが、日本再生という視点としてはあまり得られるものはなかった。
 その後、安藤さんと音楽家佐渡裕の対談があった。これも、生で有名人のおもしろい話を聞けた人間的な魅力にあふれる人柄に触れられたという点ではおもしろかったが、震災がらみでは、佐渡さんは8月に被災地で音楽の指導をしたり、演奏会をするというくらいで、残念ながらあまり得られるものはなかった。
 最後は、村井嘉浩宮城県知事)、TVでおなじみのジェラルド・カーティス教授、武藤敏郎(元日銀副総裁、大和総研理事)、加藤陽子(東大教授)らのパネルディスカッションだった。初めに、一人10分づつのスピーチがあったが、村井知事の理路整然としたわかりやすい話に魅了された。
 まず、がれきの処理などの復旧に3年、次の基盤構築に4年、その後の発展期に3年の合計10年計画を立てて復興に取り組んでいること、高台移転、職住分離、津波に対する多重防御のプランの紹介、142の漁港を3分の1に集約し新しい漁業の経営形態を認可することで水産業を復興することで宮城ならでは産業を作る計画だという。特に感心したのは、水産業が衰退産業で就労人口が減少していることを定量的に把握し、漁業を営む人は 7000人程度になっており、また、その中でも50歳以上が7割を占めているという数字をきちんと押さえていた点である。このまま10年ほっておいたら確実に水産業はなくなってしまうが、きちんと対策を打てば、むしろ成長産業にできる可能性があるという。
 私は知らなかったのだが、漁業では港ごとに漁協が漁業権を握っており、他からの参入はできない仕組みになっており、それが大きな障壁らしい。漁港を集約するとともに、民間企業が参入できるようにするだけで、例えば、雇用保険なども充実させることができ、若い人も漁業に入りやすくなる環境を作ることができるという。かまぼこなどの加工品の製造業との連携も全国への産地直送のシステムの構築なども合理的にできるだろう。非常に明るい未来が見えてくるいい話だった。
 武藤氏は大和総研の近未来予想をまとめた話で、常識的な結果であるが、これも安心して話を聞くことができた。良いシナリオと悪いシナリオを並行して見せてくれたので、日本の経済がこれから上向き方向に進む可能性が高いことをなるほどと感じさせられた。民間企業のサプライチェーンの問題などは前倒しで解決する方向にあり、今の主たる懸念事項は、がれきの最終処理と電力不足の問題だという。世論を踏まえて、原発は最終的には0にするという設定で計算しているそうであるが、自然エネルギーが期待するほど増加しないで、数年間電力がぎりぎりの状態が続く可能性を指摘している。
 カーティス教授の話はユーモアにもあふれ、それでいて鋭い指摘が随所にあり、これも素晴らしかった。永田町が歴史上最悪の状態でも、登録されているだけで57万人がボランティアに参加し、多くの企業も採算を度外視して東北援助に取り組んでいることに新たな日本人の魅力を感じるといい、知的レベルが高く温和で誠実な日本人の人間性は、世界から見ても大きな魅力だという。例えば、被災地に投資をすれば5年間は免税にするなどの特区を設定するだけで海外からも参入する企業は沢山見込め、若者の雇用環境を大きく改善できる可能性があるという。また、政治を悪くしている原因がマスコミにもあり、政局をおもしろがって扱うのではなく、真面目な政策論争を展開し、ダメな政治は許さないと
いう態度が必要だという主張に会場から拍手が沸いた。
 加藤教授の話は明治や大戦終了後の頃の逸話ばかりで、聞き流すお話としてはおもしろかったが、現状に対して得るものはあまりなかった。
 カーティス教授は、今の政権がもてあましている国の権限を地方にそのまま渡すだけで、地方には十分な力を持った人達が沢山いるので大丈夫だと言っていた。村井知事はそれを受けるような形で、自分がヘリコプターのパイロットだったときの話を交えて締めくくった。ヘリの操縦では目視できる一番遠くの目標地点を決めて、それを基準にして方向を見失わないようにすることが大切だが、今の国政を担う人に遠方の目標を定めている人がいない。トップの人間がはっきりした方向をぶれないで指していれば、周囲の優秀な組織がそれを実現してくれると信じている。