余震に関する大森の法則と定常性、そして、地震保険

 地震学の分野で最も重要な経験的法則は、地震のエネルギーの大きさ分布に関するグーテンベルク・リヒターの法則と余震の発生頻度に関する大森の法則である。前者は、地震のエネルギーをEとしたときに、エネルギーがEよりも大きな地震が次に発生する確率、
P(>E)、が、Eの‐2/3乗に比例して減少すること、後者は、余震の数が本震からの時間にほぼ反比例して減少することを示している。どちらも、ベキ乗則にしたがっていることが大きな特徴である。
 今回の本震の場合も、当日から翌日にかけては、ほとんど連続的とも感じられるほど余震が沢山発生した。しだいに余震の数は減少し、本震から10日の余震の数はだいたい10分の1になり、100日後には100分の1になる、というのが大森の法則である。通常、1か月程度して余震の数が少なくなるともう余震はないだろうと油断しがちであるが、本震が特に大きかった場合は、1年間くらいは注意を怠らない方がよい。
 この法則の発見者である大森房吉は、明治から大正にかけて活躍した地震学の父とも言われる研究者であり、海外でも、Omori's lawという名称が使われている。大森の法則を地震学以外の研究者にも広めたのは、フラクタル創始者マンデルブロである。彼は、時間軸上のフラクタルの事例として、この余震の発生頻度を紹介している。地震は、一度大きな地震が起こるとその後引き続いて多数の余震が発生するが、余震の余震のような地震も数多く発生し、地震の発生時刻を時間軸にプロットすると、点の分布がフラクタル的な構造を持つのである。
 地震のエネルギーの大きさのベキ分布は、先に述べたように(4月27日と4月13日の記事)、平均値が意味を持たないという統計学上の基本的な問題を提起している。それに対し、時間軸方向の法則である大森の法則は、これも統計学上の重要な問題である”定常性”に難問を突きつけている。地震のエネルギーの分布を議論する時には、ベキ分布に従う確率的な変数が過去の履歴とは無相関に選ばれるような話の展開をしてきたが、実は、地震の発生そのものが過去の履歴に依存しており、話はもう少しややこしいのだ。
 定常性とは、統計的な性質が時間の原点の選び方によらない、という基本的な統計学上の要請である。例えば、地震の平均的な発生頻度を考えた時、大地震の前と後とでは、実の所、発生頻度は大きく異なる。したがって、地震の発生頻度自体は定常性を満たさないことになる。しかし、本震を定義しておけば、本震からの時間の関数で余震の数が減少していくという大森の法則は成立するので、大森の法則自体は定常性を満たすことになる。
 地震の発生頻度そのものは、このように定常的ではないので、例えば、今回の大地震は100年に一度のレベルなのか、1000年に一度のレベルなのかという議論もあまり意味を持たない。大地震の前の観測データに基づけば、1000年に一度程度のレベルになるとしても、大地震後の地震が多発するデータからみれば、今後、同程度の地震が起こる可能性は100年に一度よりも高く見積もられてもおかしくない。粗っぽい、いいかげんな議論をしているように思われるかもしれないが、いわば、地震の発生頻度の基準とすべきものさし自体が10倍程度は伸び縮みしてしまっているだからしょうがない。
 こういう観点からも、地震保険は原理的な困難に直面している。地震の発生頻度自体が大きくゆらぐのであるから、地震の被害に対して平均的な見積もりをして保険料を徴収するという方法自体、根拠が希薄なのだ。地震に対しては、個人に責任を負わせるのではなく、国が十分に安全な建築基準を作っておき、その建築基準を満たしていても被害が出た場合には、国ができるかぎりの援助をする、という基本ルールを設定すべきだろう。大きく壊れた方が得をするような現在の地震保険の制度は、かえって危険な建築物の改築を遅らせる心配すらある。建築基準を満たさない既存の建物には高い課税をしてでも安全性を高める動機づけをしたほうがよい。地震が起こってそういう建物に被害が起これば、そこにコストが発生するのであるから、それを事前に負担してもらうという考えかたもできるだろう。