最初の経済物理学者:コペルニクス

 地動説を提唱したことで有名なコペルニクスは、近代物理学の創設者の一人として高く評価されているが、経済学者としても高い評価を得ている。彼は、いわば、世界最初の経済物理学者である。
 コペルニクスが活躍した16世紀初頭は、大航海時代の始まりの時期だった。何に目印のない大海原に出航していく時に必要不可欠な技術は、天測である。天測とは、星の位置と時刻から、自分の位置を推定する技術であり、当時発明されたばかりの時計と、六分儀という星の見える角度を測定する装置を用い、天体モデルに基づいて、船の位置を計算によって求めていた。ポルトガルの博物館で大航海時代の航海日誌を見たことがあるが、ノートには細かい数字がびっしり書き込まれていた。当時の船は、最先端のハイテクの結晶であり、綿密な計測と膨大な計算なしでは動かせないものだったのだ。映画に出てくるように海賊が気合で乗りこなすようなものではなかったはずである。
 天体望遠鏡がまだ発明されていない時代、天測で最も重要な星は多少霞がかかっていても見える明るい星である惑星、特に、火星や木星だった。惑星の動きを予測する天体モデルが間違っていれば、船の位置に誤差が生じ、座礁する可能性が高くなる。一定の時を刻む時計を作り、正確な惑星運動のモデルを開発することが巨万の富に直結していたのである。
 地球を中心にして、太陽や惑星が円軌道を描く従来のモデルでは惑星の位置を予測するには限度がある。航海している人達は、紀元前以来のプトレマイオス流の天動説に限界を感じ、より正確な惑星モデルを必要としていた。そういう中で、コペルニクスは地球ではなく、太陽を中心とする惑星モデルを考案したわけである。ただし、このようなモデルのアイディアは彼の師匠からのものだったようだし、地動説の本が出版され、社会に大きな影響を与えたのは彼の死後のことだった。また、コペルニクス流の新しい惑星モデルは、船乗りにとっては従来品と比べ、あまり大きく進歩したものではなかったようだ。コペルニクスの出身地であるポーランドの首都ワルシャワの博物館には、当時の天動説に基づく惑星時計と地動説に基づく惑星時計が並べてある。無数の歯車を組み合わせた非常に精緻な作りであるが、どちらがより本物を正しく説明できるのかを比較するために両方を作ったのだと推測される。ちなみに、彼よりもおよそ1世紀後の人であるケプラーによって発明された楕円軌道の惑星モデルは現実の惑星の動きと非常によく合うということで、航海には欠かせないものになったという。
 大航海時代に入り、それまで数百年間、閉じられた世界の中で安定していたヨーロッパの社会が大きく動き出した。特に大きな問題になったのは、インフレである。ずっと変化のなかった物の価格が、数倍も上昇してしまったのだ。人々は困惑し、何が起こったのか、どうすればよいのか、非常に困ったらしい。そこに登場したのが、コペルニクスである。様々な職業に就いていた彼は、当時、教会の財務担当の仕事をしており、教会の資産が目減りする理由を説明する必要があったらしい。彼が注目したのは、新大陸からの金や銀の輸入である。通貨として使う金や銀の量が増えることによって、相対的にものの値段が上昇することを看破したのである。彼がこのことをまとめた論文は、世界最初のインフレに関する論文として経済学者も認識している。また、彼は、後世の研究者の名が冠せられている”グレシャムの法則”も発見している。『悪貨は良貨を駆逐する』と要約された内容で知られているように、質の悪い通貨の方が質の高い通貨よりも流通しやすい、という経験則を理屈から説明したのである。
 コペルニクスは、いわゆる科学革命の4人の立役者のひとりであり(残りは、ガリレオケプラーニュートン)、世の中のしくみを神様の論理から説明するのではなく、現実に起こっていることを精密に観測することから考え直すべきである、という人類にとって根本的な思考の転換を促した。そして、それは同時に、経済学の誕生にもなっていたのである!!
 科学と経済学の産みの親ともいえるコペルニクスの業績には、もっと光を当てるべきだ。また、彼を生み出す根源になっていた大航海に関しても、見方を深めるべきだ。惑星運動は単に知的好奇心のために研究されていたのではなく、大航海を通して、国家の存亡にかかわるような最重要の社会的ニーズに基づく生臭い研究テーマだったのだ。物理学を学んでも、そのような研究の動機や背景までは教えられない。純粋な好奇心こそが科学者の原動力であるかのような教育をされることが多いが、現実には、社会のニーズが高く、大きなお金が動く所にこそ新しい科学の源があることの方がはるかに多いのだ。