アインシュタインと魚雷開発

 アインシュタインは、ラッセルとともに核兵器反対宣言をし、核兵器を廃絶するためのパグウォッシュ会議を開催するなど平和主義の物理学者としての評価が高い。しかし、アインシュタインには、戦争の加害者としての側面もいろいろとある。
 まず、1905年の原子爆弾の原理になった有名なE=mc^2の公式である。質量が莫大なエネルギーになることを発見したこの論文以来、質量をエネルギーに変えることができれば画期的な爆弾が作れることは当時の物理学者は暗黙の了解になっていたという(これは豊田先生からの情報)。1933年にシラードが核分裂の連鎖反応の可能性を理論的に考え、1938年にはハーンとマイトナーが核分裂反応を発見した時点で、原子爆弾が作れる可能性が物理学者の間では公知となった。
 ナチスにドイツを追われ、アメリカに亡命したアインシュタインは、1939年にアメリカ大統領宛に原子爆弾の製造を促した。これがきっかけとなって、マンハッタン計画が動き出し、アメリカが世界で最初に原子爆弾を手にすることになった。
 太平洋戦争が始まってから、アインシュタインは、アメリカ軍に協力を求められ、魚雷の開発に協力した。当時のアメリカ製の魚雷は、船に衝突して一定以上の衝撃がかかったときに爆発する設計になっていたらしい。しかし、船の周囲は強力な水流があるので、魚雷は船のごく近くで向きを変えてしまい、船にぶつからないで素通りしたり、ぶつかっても斜めにぶつかって爆発しなかったり、空振りになることが多かったらしい。アインシュタインは、魚雷の向きが急に変わるということは、そこにものがあることを意味するので、魚雷が向きを変えたときに自動的に爆発するようなしくみを提案した。この改良によって、アメリカの魚雷は船を沈める確率を大きく改善し、そのこともあり、太平洋戦争のなかばから日本の船が相当数沈められるようになったという。残念なことにアインシュタインは日本対してはかなり直接的な加害者である。
 とはいっても、アインシュタインだけが悪いわけではない。日本の物理学者も戦争中は、ほとんどが軍事研究にかりだされていた。例えば、ノーベル物理学賞を受賞した理論物理学者の朝永振一郎ですら、戦争中は、強力なマイクロ波を発生する装置として、マグネトロンの開発を行ったという。今は、電子レンジのマイクロ波発生装置になっているが、戦争中は、飛行機を落とす新兵器としてパワーを上げる方向で開発されていたという。理想的には、敵機が飛んで来た時、地上からマイクロ波を当てて落としてしまおう、狙いだったのだ。これも豊田先生から聞いたことだが、富士山のすそので、試作したマイクロ波発生装置を10メートルほど離れた所においておいたハエに向かって当てた実験をしたことがあるそうだ。想像できるように、全く残念な結果になり、とても飛行機を落とせる見込みはないということで計画は縮小されたという。仮にであるが、もしこのプロジェクトが大成功になり、マイクロ波装置が戦争の流れを変えるほどの兵器になっていたならば、朝永振一郎も戦争の加害者になってことになる。
 物理学者が興味に任せて、好きな研究ができるのは、社会が豊かで、経済も安定しているからである。過去を振り返ると、1929年の暗黒の木曜日に始まった世界大恐慌から、世界経済がブロック化し、経済対立が強くなり、最終的に第2次世界大戦に至った10年は連続的な経緯だったと考えている。2008年のリーマンショックに始まる金融危機、経済の後退、そして、悪いタイミングで起こった大震災と原子炉事故など、80年前の暗い過去との対応が不気味である。不幸な歴史を繰り返さないためには、この数年の間は経済の破綻を避けるように最大源の努力をしなければならないと考えている。