おごれるものはひさしからず:東京電力、エンロン

 東京電力放射能の問題で事実上、破綻した。責任を負うことになる賠償金の額は未だにはっきりしないが、東京電力の資産価値を大きく上回ることは確実だ。「原子力の事故は起こらない」、という根拠のない信仰がどれだけ被害を大きくしたか、大いに反省する必要がある。先日の新聞などの報道で、30億円もかけて国が民間企業に委託して開発した原子炉事故対応用のロボット6台を、東電は「事故は起こらないので必要ない」という理由で納入せず、ロボットは廃棄されてしまったことが紹介されていた。なぜこうも横柄な体質になってしまったのだろう。
 私は10年ほど前、東京電力に研究の相談を持ちかけられたことがある。当時、電力の自由化の波が欧米から波及してきており、日本でも自由化をしなければならないのではないかという議論が沸き起こっていた時分である。話を聞いてみると、欧米の自由化された電力市場のデータ解析をやってみないか、という相談だった。
 電力市場は特殊な市場で、30分刻みくらいに時間帯を区切り、翌日の何時から何時まで何ワットをいくらで供給する、という形で電力供給会社は配電会社と売買契約をする。配電会社は、翌日の天気や行事などの情報から、各時刻に必要なワット数を見積もっておき、十分な電力を供給できるように前日の間に手配しておくのである。このとき、原子力などの一定の電力を安定して供給する配電会社は、長期間の契約で決まったワット数を供給する契約になっており、残りの部分を火力発電会社などが値段を競いながら市場で取引をすることになる。真夏の午後など電力がピークになる時間帯については、供給の限界に近づくので、足りない電力を補うために価格はつりあがり、場合によっては、長期契約の電気料金の100倍近くにまでなることもある。
 2001年に破綻したエンロンというアメリカの電力供給会社があったが、この会社は、このようなつりあがった価格のときに電力を供給することで利益を得る戦略をとっていた。経済産業省のリアルオプションに関する研究会で、倒産する前のエンロンの社員が自慢げに報告していたことだが、「旧式で公害を出すが安い火力発電装置を買っておき、電力価格が想定価格以上に値上がったときだけ発電することで大きな利益をあげることができた」、という。私は、そのときの報告を聞いて、複雑な気持ちになった。総電力が不足すれば、大停電にもなるので、それを救うために電力を供給し、相応の報酬を得ることは悪いことではない、しかし、そのために、公害が出ることがわかっている発電装置を安く仕入れておくということは、どうにもモラルに反するように思い、利益のこだわるエンロンという会社の体質を疑ったのである。(ちなみに、リアルオプションとは、企業経営のシナリオに選択肢をいくつか用意しておいて、その都度、最適なものを選ぶことによって、全体の価値を高めようという経営上の考え方であり、エンロンは、それを実践している代表の企業として認識されていた。エンロンはこの研究会の半年後くらいに急に倒産したが、経営陣の上層部が不正取引をしていたらしい。お金が全てという企業の体質は共通していたのだろう。)
 東京電力の人の研究の提案の話を聞いていると、東京電力としては最終的には電力自由化は導入したくないので、自由化には問題が沢山あるというような結論になるような研究をして欲しい、という流れになっていた。私は、もともとお金だけでものごとを決める自由市場にはエンロンのようなモラル的な弊害を産む可能性もあり、ゆらぎも非常に大きくなるので、電力自由化には懐疑的だった。電力市場のデータを解析することにも非常に関心があったが、しかし、初めから結論を求められているような形では、研究が歪められるに決まっている。自由市場にはいい面も悪い面もあるはずで、研究者は中立的な立場で、先入観なしに見ていかなければ、それは研究者のモラルハザードを引き起こすことになる。
 私は結局、東京電力とは共同研究をしなかった。自由市場の鬼っ子のようなエンロンは問題だが、電力の独占体制を維持するために研究者を利用しようという東電の企業体質に疑問を持ったことが大きな理由である。批判的な意見に対しても耳を傾けるような姿勢を持たない企業は、どんなに今、独占的に有利な立場にあってもいずれ破綻する。1000年前から言われているように、おごれるものは久しからず、である。