歩留まりデータ解析を始めたいきさつ

 私が半導体工場の歩留まりデータの解析に取り組むことになったいきさつをもう少し詳しく紹介する。
 2006年11月、ソニープレイステーション3を発売したが、そのおよそ1年半ほど前、私に「Cellチップの製造データの解析を手伝ってもらえないだろうか」、という打診がソニー本社の方からあった。Cellとは、プレステ3の頭脳である超並列型のマイクロプロセッサであり、現在でもなお、その計算能力の高さは非常に高く評価されている。このチップを共同開発してきたソニーIBM東芝は、それぞれの工場で全く同じレセピでチップの製造にとりかかっていた時期だった。作るものは決まっていたので、どれだけ早く大量にローコストで作ることができるか、が勝負だった。
 IBM東芝と共同でチップの製造方法に関して協議をしていたソニーの開発部隊の中から、IBMの工場の体制の中にある統計部隊を羨望する声が出て来たらしい。IBM半導体工場では、歩留まり悪化などの問題が発生して現場のエンジニアがすぐには対応できないような状況になると、統計数学を専門とする統計部隊が駆け付け、速やかにデータを分析して、原因を解明し、対処方法を考えてくれるようになっているだという。ソニーの工場でもそのような組織を作れないだろうか、というニーズが生まれ、私に白羽の矢が当たったというわけだった。
 この話が来た時、私は半導体の製造に関してはまったく素人で、何かができるという自信はなかった。しかし、部外者には絶対公開されないような製造現場の生のデータが見られるというまたとない機会であり、これこそ大学を辞めて企業に入ったからこその出会いだと直感し、ほぼ2つ返事で引き受けることになった。
 話は急転し、ほぼ毎週ペースで長崎日帰り出張が入るようになった。最初に、工場見学をさせてもらったが、最先端の半導体工場は、まさにSF映画を見ているような印象だった。宇宙服のような防塵服を着て、黄色い照明で照らされた巨大なクリーンルームの中に入ると、小型トラック程度の大きさの製造装置がずらっと並んだ工場の中、人影はまばらだった。1枚30cmの半導体ウェーハは25枚でロットという収納容器に入っており、ロットは天井のレールを通って自動的に次の処理をする装置の所まで移動して止まり、下に降りて来て、製造装置と接合し、処理をされる。処理が終わるとまた天井を通って次の処理装置に移動する、という形で、人間の作業は基本的には何もいらないようになっているわけだ。人間が必要とされるのは、製造装置に赤いランプがついた時で、それは装置に人間の助けが必要なトラブルが発生したこと意味している。
 実際に製造工程に関連するデータを元に、議論を始めたのであるが、初めの何回かのミーティングで、私は、後から考えると恥ずかしいような基本的な質問ばかりしていた。いろいろと他の仕事もあったので、正直の所、ほとんど半導体の勉強をしないまま議論に入ったので、専門用語ひとつひとつ説明してもらわなければならなかったからである。「こんな素人に説明するだけ時間の無駄じゃないの」、という相手の心の声が聞こえてくるようで心苦しかったが、何週間か過ぎて、だんだん話が通じるようになってきた。こちらの質問に対しても、「えっと、それは実はまだあまりはっきりとはわかっていないことでして、・・・」というような答えが出てくるようになり、ようやく最先端に近づいてきたという高揚感を感じられるようになった。
 データを見て気がついたことは、統計学で基本とする『無相関な正規分布』とはいろいろな所で異なるデータの性質である。物理学の視点から見ると、相関を持ち、正規分布から外れた分布になるためには、それなりの理由があるはずである。そのような理由を追求していくと、意外に簡単に歩留まり改善のためのヒントが見えてくるようになった。例えば、25枚のロットの中のウェーハの番号が偶数の時と奇数の時とで、チップの特性値の平均値が違うような場合がある。その時には、原因としては、一度に2枚処理するタイプの製造装置が原因として疑われる。チップを完成するためには数百の工程があるので、一枚づつ処理する装置だけでなく、2枚、あるいは、4枚ごとに処理したり、1ロット25枚を一度に処理するものから、数ロットひとまとめに処理する場合もある。周期的な振る舞いが見いだせれば、そこから容疑工程を絞り込むことができるのだ。とは言っても、沢山の工程の効果が重なり合っていること、ランダムなノイズも常時入ること、時に、工程変更をしたり、装置のメンテナンスなども入り、極めて非定常であること、など因果関係をぼやかす要因も多いので、それなりの工夫は常に要求される。既存の方法だけでは見えなかったようなものでも、原因を想定して、工夫をすると見えるようになってくることも多いのだ。
 幸運が重なり、比較的短期間に、Cellの歩留まりに関して直接的に寄与することができた。初打席で大振りしたらまぐれあたりのホームラン、という印象だったが、結果としては、歩留まりを競い合っていたIBM東芝よりもソニーは常に高い歩留まりを維持することができ、「IBMからも羨ましがられた」と一緒に仕事をしたチームは喜んでくれた。これがきっかけとなり、その後、青色レーザの歩留まり、デジカメの目にあたるCMOSセンサーと、仕事が続き、現在も進行中である。犯人探しの推理ゲームをするような知的刺激があるとともに、もっと大きな広い分野への応用にもつながるような要素にもいろいろと出会うことがあり、論文にはならない仕事ではあるが、自分にとってもおもしろい研究課題になっている。